沢田研二さんの武道館コンサートに行ってきた

 

1970年代から80年代にかけて、日本のポップス界をけん引してきた、往年の歌手、沢田研二(以下、ジュリーと略)さんが、70歳を迎えた記念として、日本武道館でコンサートを催しました。

実は、カミさんがグループサウンズである、ザ・タイガースの時代のジュリーの時からの大ファンなので、「コンサートに付き合って!」と言う希望により、同伴した次第です。

 

実は、私も子供の頃よく聴いていたので、付き合う事は、まんざらでもなかったです。ヒット曲の殆どは、何となく鼻歌で歌唱できる程で、カミさん曰く「アナタも結構歌えるじゃん…」と言う評価を頂き、銀婚式になって、初めて亭主の株が突然急上昇!と、相成りました。

 

寄る年は誰に対しても平等に押し寄せるもので、若い頃、あれほど妖艶だったジュリーも、お腹が出てきて、白髪も交じり、当時の面影は殆ど消え失せ、オッサン化してしまいましたが、仙人のようなお姿になったジュリーも、私は好感が持てましたが、コンサートから帰ってきたカミさんは、何となく不満そうで、毎日、ブツブツ独り言の文句を言っています。

 

それからと言うもの、夜ごはんが終わり、一通り片付けが終わってから、スマホを使った「沢田研二歌謡コンサート」が、夜な夜な始まります。ネット上の動画サイトには、昔のジュリーの動画が結構残っており、プレイリストにして再生すれば、延々と宴が続きます。

 

「こんな、いい物があったのね!」

 

と言いながら、ベッドに入ってからも夜通しジュリーの曲が流れます。カミさんは、せっかくためた楽天とアマゾンのポイントつぎ込んで、昔のコンサートのDVDも買ってしまう始末です。

 

ただ、私が立派だな…と思ったのは、ジュリーは70歳になっても、当時と同じ声量・音のキーを保ち、高音部もしっかり発声できていた事です。

 

コンサートも中盤を迎えると、ジュリーがMCとなって、近況報告などのトークが始まります。その中で、何故、昔の面影を捨てて、あのようなお姿になったのか?本人より、説明がありました。ジュリー曰く…。

 

「歌手・沢田研二は、昔と同じ声量を保たなければならないと感じています。コンサートに来て下さった方に、やっぱりジュリーも衰えたわね…と言われる事が、一番残念な事なのです。その為に、昔の声量を保つためには、痩せていては声が出ない…と言う事に気付き、試行錯誤の結果、このような体型になりました。」と、弁解をしていました。

 

本当にこのような事は医学的にも考えられるのでしょうか?チョット調べてみました。

例えば、弦楽器は共鳴箱で音を増幅させ済んだ音尾を奏でます。歌手の場合、この共鳴箱に相当する部分が、身体のボディーになります。オペラ歌手の中で、胴回りの恰幅の良い方が多いのも、同じ理由です。よく、声楽家は「腹から声を出す」と言いますが、肺活量と腹筋の押し出す力が多いほど、大きな声を流す出す事が出来ます。

 

また、ギターの弦に相当する部分が、声帯です。一般的にその長さは、男性で17~20センチ、女性で12~17センチと言われています。

 

そして、この声帯は、より長いほど声が低温になります。この事により、背が高い人ほど、声帯が長くなり、低音が出しやすくなります。そう言えば、タイガースのメンバーの中に、サリーがいましたね。サリーは、現在では岸部一徳さんとして、名わき役の男優として頑張っています。このサリーは、とても長身で、コーラスの中では、低音部を受け持っていました。やはり、歌手の方が若い時の声量を保つには、ある程度、恰幅が良い方が、声が出しやすいというのも、間違ってはいないのかもしれません。

 

それにしても、私が、以前のヒット曲を歌う歌手の方たちを聞いいて、いつも残念にもう事は、本人にしてみたら、何千回・何万回と歌ってきたからでしょうが、当時の耳に残る歌い方とは全く異なる、変なアレンジに変えて歌唱する事です。時には、雑に思えてしまう時もあります。

 

所が、さすがジュリーです。当時のレコードの歌い方と、殆ど変わらない声量と歌い方を披露してくれました。この事は、歌手ジュリーのポリシーとして、

「オレは、懐メロ歌手じゃないんだよ!」と言うプライドが伺えます。

今回のコンサートでも、全18曲を歌い上げたのですが、過去のヒット曲は、オープニングとエンディングの2曲だけで、それ以外は、最新シングル曲や聞いた事のない最近の曲でした。

 

以前のコンサートで、聴衆の中から「昔の歌も、もっと歌ってぇー」と言うヤジが飛んだ時に、本気になって怒ってやり返し、コンサートの雰囲気が白けてしまった事もあります。

 

その中でも、コンサートのエンディング曲は、「ヤマとより愛をこめて」を熱唱して頂き、

当時、映画館で「さらば宇宙戦艦ヤマト」のエンドタイトルで流れた事も思い出し、

生歌を聞けた事がとても良かったです。

 

子供ながら、敵戦艦に自爆覚悟で突っ込んでいくヤマトをスクリーンで見て、

人目をはばからず号泣した事を思い出しました。

 

 

 

70歳を超えて、益々元気な沢田研二さんであって欲しいです。