神社めぐりを考える…神様と対峙する時(高家神社編)

 

2019年は、関東地方においては、台風の当たり年で、15号と19号が、神奈川・千葉県を中心に、瓦屋根の破損・河川の氾濫、床上浸水など大きな被害を与えました。

 

そんな折、神社巡りを始めた私にとって、どうしても訪れておきたい場所がありました。

千葉県館山に位置する、『高家神社』(たかべじんじゃ)です。

https://www.mboso-etoko.jp/bosozirushi/takabe/

 

ここは、日本で唯一の「料理の神様」を祀っている神社です。

 

特に17日は、1年で3回執り行う「庖丁祭」に当たるので、「令和の鯛」の儀を見てきました。ちょうど、その日は、休診日なので、私にとっても都合が良かったのです。

 

寒川神社の時と同じように、八木龍平著、「成功している人は、なぜ神社に行くのか?」を、再び熟読し、神社参拝の際の所作や口上は、バッチリ復習をして行きました。

 

さて、問題はココからです。

 

写真に示すように、鯛の儀を行うまな板の上を、塩を盛ったり、聖水をかけたりして清めの儀式を行います。

 

まな板の上をよく見て下さい。清めの敷物の上に、小さな重りがありますね。この色は、青・赤・黄・白・黒の五色です。これは、陰陽五行説で言う所の、臓腑が持つ色に相当します。

 

それぞれ、五臓のうち、肝・心・脾・肺・腎に配当されています。

 

実は、東洋医学の陰陽五行説の概念は、5世紀の飛鳥時代の頃に、仏教と共に伝来し、天文、1年の暦、1日の時刻、易などの自然界の変化や営みの祖として広まりました。その後、日本の風土・季節に見合うように独自の進化を経て、自然界の瑞祥・災厄、五穀豊穣を願って、人間界の吉凶を占う技術として、日本社会に広く受け入れられました。

 

映画にもなった、陰陽師は、現代で言えば、革新をもたらす人として、スティーブジョブズ氏やイーロンマスク氏のような存在であったのでしょう。

 

高家神社にも、随所にこうした概念が散見され、

改めて、仏教+医療+易経の根源は、一つである事が確認できました。

 

いよいよ、お清めの儀式もクライマックスです。最後に、玉串でお祓いをして準備OKです。

その瞬間です。それまで無風だった天候にも拘らず、私の左側から、「一陣の風」がビューっと吹いてきて、頬をなぞっていきました。あまりにも明確に感じられたので、同席したカミさんに、「今、風が吹いたよね?」と、小声でチェックしていました。

 

今にして思えば、この時に、天上界と人間界のゲートが開いていたのかもしれません。

 

まな板には、立派な鯛が用意され、四條真流の師範代の方が、刀の様な包丁と、まな箸を操って、一切手を触れることなく、鯛を三枚に下していきます。

★豆知識…料理の時に野菜を扱う時が、菜箸といい、生き物を触る時は「真魚箸」(まなばし)と言うのだそうです。

 

何人ものお弟子さん達が交代でセッティングをして、両サイドには、神社の神主さんが立会人をしています。非常に荘厳でしめやかな雰囲気です。

 

そして、本当の本題はココからです。

●師範代が鯛に向き合い、刀の様な包丁を天にかざして決めポーズを取った瞬間に、私の写真には、天から「お印の光」が写り込んでいたのです。

 

しかも、その光の先は、正にこれから一刀両断の元に断ち切ろうとしている、鯛のお頭の部分を指し示しています。さらに、良く見ると、ビーム状の光の両サイドには、神々しい「虹」まで出ています。

 

●その次の画像は、鯛を三枚に下した後、細かく細断する為に「エイヤッ」と一太刀入れた瞬間です。その御光は、師範代の手の角度と同じ角度で同調し、まるで、鯛をさばいている時の師範代の手の補助をしているように見えます。

 

この光を拡大して良く見ると、細かい虹色の粒子で構成されているようです。

 

●最終的に鯛は、ドンドン細かくなって行き、それと共にこの御光は、弱まり天に帰って行きました。恐らく、時間にして10分以内の事であったと思います。

 

●最後に、師範代が切り身を並べ替え、「令和の文字」が完成しました。この時には、もう光は差し込んでいません。

 

その後、カメラロールで、過去にさかのぼって、一連の流れを時間軸に沿って見直しても、明確な光が差し込んでいたのは、鯛をさばいている時だけです。

 

ただ単に光のハレーションでしょ!と言ってしまえば、それまでですが、何とも不思議な現象に立ち会ってしまいました。

 

神道に詳しくないので良く解りませんが、この画像は、私がこのまま所持していても良い物なのか?何かお清めやお祓いをした方が良いのか?全く見当が付きません。

 

ただ、何回見直してみても、不吉な想いや邪気を感じる事は無いので、とても不思議です。

(むしろ、神々しい温かみを感じています)

 

この「庖丁の儀」は、11月23日(土)に、もう一度、執り行われます。

 

本当に神様っているんだな…と、感じるひと時でした。

追記:高家神社の社務所には、この現象を文書化してお知らせしておきました。先方から何らかのコンタクトがあったら、またレポートしますね。

 

【事後報告】

後日、FBでお友達の、伊藤健治様のアップ画像に、似たようなものを発見してしまいました。早速ご本人に、どの様なテクニックで、こうした画像が撮影できるのか?を問い合わせた所、アクションカメラの専用アプリではなくて、いたってアナログな方法で写り込んでしまう事が解り、少しテンションが下がってしまいました。

 

もしかしたら、今回の場合も、何かの偶然が重なって、光学的にこうしたビームが入り込んでしまったのだとしたら、神様からのお印の光ではなかった可能性も示唆されます。

 

ただ、今回私が撮ってしまった、光のお印は、ビームが1本だけです。全ての嫌疑が晴れた訳ではありません。

この画像は、これからも大切に、心の中にしまっておいて、

「ありがたや…ありがたや」の精神で、日々精進して行こうと考えています。