私の小学校時代のあだ名は、「怪獣ブースカ」でした。
おへそ周りが小太りで、短足な所が、ブースカのイメージに近かったのでしょう。その傾向は、50年間変わることなく、現在も、ブースカ状態を維持しています。
私自身、ブースカのあだ名は、それ程、嫌いではなく、素直に受け入れていました。
世の中には、「あだ名・名人」と言う方がいます。
よくも、こんなにピッタリのニックネームを当てはめたものだ、と感心する時もあります。
近年、学校教育では、「あだ名禁止令」が推奨されているようです。
本人にとって、嫌悪感を覚えるあだ名は、極力使わないように心がけ、男女とも、「さん付け」で呼び合うように注意喚起がなされています。
何とも味気ない世の中になってしまいました。
これは、私見になりますが、あだ名は…立派な個性です。
何十年たっても、あだ名が付いていたクラスメートは、瞬時に、名前・顔・キャラクターまで、思い出す事が出来ますが、それ以外の友達は、記憶の断片にも残っていません。唯一、名前で思い返すのは、初恋の女子生徒くらいです。
あだ名も、全て悪い訳ではない…と、私は思っています。
例えば、漫画「どらえもん」も、スネ夫、ジャイアンなどのニックネームがあるからこそ、物語が成立するのです。
あだ名は…いってみれば、その人を、たった一言で言い表す「本質」に他なりません。
その本質は、その人だけが得る事ができるストロングポイントに他なりません。
実は、この本質を考え抜く…と言う作業は、本の執筆にも非常に有効です。
現在、新しいライターさんとのお付き合いが始まり、今まで書き溜めた原稿に対し、大幅に内容の変更を検討しています。
まだ全容をお伝え出来ませんが、新しい本の企画を、カミさんに相談したら、
「あっ、それいんじゃない?」
「その線で行ってみたら良い本ができるかもね…さすが、プロのライターさんね」
と言うお墨付きを得ました。
今一度、その基本線にのっとって、リライトしてみようと思っています。