硝石と漢方の意外な共通点

 

自然界で、物質が燃えるためには、

① 燃えるものがあること、

② 燃やすものがあること

③ 燃焼する温度に達すること、3つの条件が必要になります。

 

例えば、キャンプに出掛け、バーベキューをする為に、火を起こす時には、

① 木炭を用意し、

② 換気により、充分な酸素(空気)が循環し、

③ 熱源として、最初に着火した後、種火から徐々に燃焼温度を上げることが必要になります。

 

 

2022年、一人の暴漢が、手製の銃で元総理を銃撃し、死亡してしまうという、痛ましい事件が起きてしまいました。容疑者は、自作で殺傷力を伴う火薬を作ったそうです。本当にそんなに簡単に火薬を作る事が出来るのでしょうか?

 

前述したように、物が燃えるためには、「燃える」ものと、「燃やす」ものが必須で、前者が燃料で、後者が酸化剤に相当します。

 

ところが、火薬の燃焼になると、前述した条件が少し変化し、

① 構成物質に燃料成分があること

② 構成物質に酸化剤成分が含有していること、

③ 熱源があること、になってきます。

 

火薬はガソリンと同じように、燃焼して高温のガスを発生させますが、ガソリンは密閉状態で燃焼した場合、途中で燃焼が中断するときがありますが、火薬は、より激しく燃焼が連続して、中断することがありません。

 

自動車のエンジンを想像すれば分かりますが、ガソリンが燃えるのには、大気中の酸素を混合する必要がありますが、火薬の場合は、それ自体で化学反応が連鎖し、燃え広がる点が、決定的に違う所です。

密閉容器内で火薬が燃焼すると、容器の内圧が増加し、その容器の耐圧限界に達する、容器を破損させて周囲に飛散させます。この原理を応用したのが、手りゅう弾などの爆弾です。

一方、容器が強靭な場合は、燃焼エネルギーは、運動エネルギーに変換され、火薬の燃焼が推力に変わります。このエネルギーによって、砲弾が押し出された時に、銃になります。

 

この火薬の発見は、古代中国の唐時代に始まり、ヨーロッパで13世紀頃に黒色火薬が発明されました。

黒色火薬は、自然界に存在しません。試行錯誤の末、ヒトが自然界の物質を調合して、爆発的に燃焼する「レシピ」を見つけ出しました。この辺の「何としても目的の物を作り出す」と言う、ヒトの探求心とエネルギーは、恐ろしいものがあります。例えそれが、人類を滅ぼす可能性を秘めたものであってもです。

 

この辺の流れは、「何としてもヒトの病気を治したい」と言う物を生み出すために、数々の生薬を組み合わせ、漢方薬の薬効に辿りついたことに似ています。この事が、後になって、火薬と生薬の歴史が、重なり合ってくる所は、何とも皮肉な運命を感じます。

 

武器になる事が分かった黒色火薬は、世界中で大量に生産され、徐々に爆発力と推進力は強力になり、大型兵器が開発されていきました。最初は、小さなエリアの紛争から使われはじめ、やがて、国家間、大陸間の戦争に投入されました。

 

NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を視聴すると、1274年に蒙古軍来襲した事を発端として、わが国でも、初めて火薬による武器が実戦投入されました。当時は、まだ大砲のような銃器ではなく、土器に黒色火薬を入れて爆発させ、殺傷能力を上げる、爆弾のような使い方が主流でした。

 

その後、1500年代になると、ポルトガル人によって、火縄銃が種子島に伝来し、本格的に黒色火薬が用いられるようになります。その後、鍛冶屋を中心に量産化がなされ、織田信長は、3000丁も鉄砲を用意し、武田軍に勝利しました。 

 

 

そして、ここからが、とても日本的なのですが、実は、黒色火薬の組成は、木炭、硝石、硫黄の混合物で成り立っています。その中でも、硝石は、日本では出土しないので、江戸時代になると、内製で硝石を製造する必要性が生じ、国内産の硝石を作るために、独自の研究開発する事になりました。

 

黒色火薬の成分は、木炭の粉末、結晶体である硝石、硫黄が、それぞれ0.15:0.75:0.10の比率で混合する必要があります。木炭と硫黄は、日本では豊富に存在し、材料調達に困りません。問題は、硝石です。

 

当時の研究者は、腐った魚の「臓物」と「枯草を焼いた灰」を混和して、その上に土をかぶせておくと、なぜか白い結晶体の硝石が出来る事を突き止めました。

●腐敗物からアンモニアが生成され、硝化バクテリアによって亜硝酸が発生します。

●次いで、空気に触れて酸化し、硝酸が産生され、この硝酸が枯草の灰に含まれている酸化カルシウムと反応して、硝酸カルシウムに変化します。

●最終的に、硝酸カルシウムは、土中の炭酸カリウムと反応して「硝石」が生まれるのです。

●結晶体になってしまえば、流水中で分離する事も可能になり、純度の高い、硝石を生み出すことが可能になりました。

 

重要なのは、その後です。実は、黒色火薬は、細かく粉砕した木炭と硝石と硫黄が均一に混合しないと、威力が発揮できません。その為に、微妙な調合は、農民には難しいのです。そこで白羽の矢が当たったのが、「薬師」です。

漢方薬を作る時の、「薬研」(やげん)と言う粉砕機が重用されました。

 

 

この製作工程は秘伝とされ、身体を治す薬が、「医薬」と言われたのに対し、黒色火薬を作る工程は、「火薬」と表現されました。どちらにも、この「薬」と言う文言が存在しているには、こうした経緯があったのです。

 

ヒトの病気を治す薬剤の開発と並行して、ヒトを殺傷する武器が発達していった点は、何とも皮肉です。