源実朝の首塚に出向き、鎌倉時代の生薬を考える

 

ゴールデンウィークに、美味しい蕎麦を食べるべく、秦野市にある「石庄庵」に行ってきました。https://tabelog.com/kanagawa/A1408/A140804/14010822/

 

実は、秦野市には、源実朝の「首塚」が祭ってあるお墓があります。

 

実朝は、歌人でもあったので、首塚の周りには、多くの短歌が読まれた立て看板がありました。植物に関する歌が多く散見され、実朝さんのインテリジェンスを感じさせます。

 

幾つかの短歌を詠み進めるうち、生薬にも用いられる植物の句が出てきて、もしかしたら、実朝は、生薬学にも精通していたのではないか?と思ってしまいます。

 

NHKの大河ドラマの、「鎌倉殿の13人」で、鎌倉時代の歴史をドラマ化した影響で、源実朝(みなもと の さねとも)に興味を抱きました。実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の次男で、鎌倉幕府の三代将軍です。二代将軍だった兄の頼家が、幕府の中枢であった北条氏と対立して追放されたため、若干12歳の若さで征夷大将軍となりました。

ドラマでは、父頼朝を尊敬し、配下である御家人からも、信頼を寄せられる将軍でした。

朝廷とも交流も積極的に行い、武士では初めて、右大臣の役にも付きました。ところが、物語では、26歳の時に、頼家の公暁に暗殺されてしまいました。

 

でも、実朝は多くの和歌を後世に残しました。現代で言えば、立派な「ツイート」に相当します。どれもみな、当時の情景が目に浮かんでくるくらい、素敵な句が多いです。才能豊かな人物であったことが伺えます。

 

幾つか上げてみましょう。

●女郎花(おみなえし)

「さを鹿の 己が棲む野の 女郎花 花にあかずと 音をや鳴くらむ」

意味…妻を求めて鹿が鳴いている。オミナエシが自分の住んでいる野の花だと知らないのだろうか。

・生薬名:「敗醤草(はいしょうそう)、敗醤根(はいしょうこん)

・薬効:消炎、利尿

・薬用部位:全草、根

 

 

どんなに世相が変わろうと、縁側にはタンポポは咲き、春には桜が咲くのです。人同士が殺し合い覇権を争うと、動植物は、何も変わることなく、営みを続けていくだけです。女郎花や赤芽槲を見た時の感性は、令和だろうが鎌倉時代だろうが、変わる事はありません。

 

ヒトの愚かさを、ジッと見続けてきたのは、植物なのかもしれませんね。