最近は、リアルな本を買って、読書する機会がめっきり少なくなりました。そんな中、オッこれは読んでみたい…と言う衝動にかられたものを見つけ、アマゾンからゲットします。
『タモリ学』(出版)を読んでみました。
読んでみたいと思った理由は、タモリさんの出自が、何となく自分に似ている所があったからです。
例えば本書の中で、こんな幼少期の様子が語られています。
幼稚園で、皆が同調して「キンキン・キラキラお星さま」と歌いながら、お遊戯をして列になって行進する…と言う行いが、タモリさんは、たまらなく嫌で、親に頼んで、幼稚園をやめてしまったそうです。
実は、私も同じような子供時代でした。
タモリさんのその傾向は、大人になっても維持されていきます。例えば、サラリーマン時代に、上司が企画した「宴会」や、お世辞と欺瞞で満たされた「披露宴」が、物凄く嫌いだった…と回想しています。
そのベースにあるのは、「予定調和」です。
決まりきった世界の中に、自分が存在する事が、苦手なのです。
その中に、「即興」や「ハプニング」が起きる事を願っている生き方を貫いてきました。
こうした背景があったからこそ、生放送の「笑っていいとも」が、長年続いたのです。
また、こんなエピソードもあります。
九州で、面白い男がいる…と言う噂(その経緯は本書の中で書かれていますが割愛します)が、新宿界隈で広まり、彼を東京に呼ぼう…と言う運動が始まります。
現代で言えば、立派な「クラウドファンディング」です。
程なくして、タモリの所在が分かり、東京に呼びだされます。
その後、赤塚不二夫に見いだされ、立派なマンションに「居候」する事になります。
普段、赤塚不二夫は、連載の漫画の締め切りに追われ、仕事部屋の粗末なベッドで寝泊まりしています。
「自分は、こんな立派なマンションに寝泊まりしていて良いのだろうか?」と、タモリは考えます。
そこで出た結論が、
「いつも、住まわせてもらって、申し訳ございません」と、赤塚不二夫に頭を下げて、卑屈になってはいけない…「勝手に好きなものを飲んで食べて、好きなだけいていいぞ!」と言ってくれているんだから、堂々としていよう…とタモリは考えます。
自分の面白さが、相手に響いて、近くにいる事を許されているのだから、常識的な対応をしたら、「面白くない」訳です。
オレから頼んで居候した訳じゃない。みんな、オレの事を「面白い」「おかしな奴だ」と、勝手に評価しているんだから、何の遠慮があろうか…と思ったわけです。
とうとう、タモリは、奥さんも九州から呼び寄せ、赤塚不二夫邸に二人で住んでしまいました。
「これでいいのだ!」が生まれ出た瞬間です。
この時、森田一義が、タモリになったのです。
実は、「これでいいのだ」の精神は、ホンの僅かですが、私のビジネスにも息づいています。
口臭専門医になると決意した15年前、「ドリルを持たない」歯科医師を目指した時に始まっています。
本当にそんなことが可能かどうか?先輩の先生や同窓生にリサーチしてみました。
「ドリルを持たない、歯科医院経営って、出来ると思う?」
「無理・無理、絶対に無理だから、やめておけ!」
と言われ続けましたが、でも15年精進したら、ドリルを持たない歯科医院が出来ちゃいました。私の中では「これでいいのだ」と、一点の後悔も無く納得しています。
私の臨床家としての残り時間は、それほど多くありません。
最後まで、自分の選んだスタイルで完結したいと、思っています。