研修医の誤診について考える。口臭治療の難しさ

 

今年、ある総合病院の研修医が、夜間、救急の患者を受け入れ、報道の範囲では、指導医に相談することなく、自分の判断で診断を下してしまい、若い患者さんを死に至らしめてしまう医療過誤が起きてしまい、社会問題化しています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4efb00f7722bd87d94446e4f003f82eb4cfa7075

 

ただ、事の次第をよく見ると、メディアが若干の悪意を持って、事実を別の方に扇動しているのでは?と言う部分もあり、報道の危うさを感じています。

 

最初の第一報では、主要メディアが、「研修医の誤診」で、患者が死亡したと一斉に報道しました。ただ、事実関係を良く調べると、救急外来に搬送された時には、患者さんの容態は、比較的安定した状態で、単なる「胃腸炎」と言う診断が下されたとしても、一概に責任が問われる段階ではなかったことが伺えます。

 

しかも、さらに残念なのは、その病院が、後日、記者会見をした時に、その研修医に、責任の一端をなすり付けるようなコメントをした事です。

誤診はあってはならない事は間違いありません。ただ、誤診をしない医療従事者は、「0」ではありません。必ず、一定の頻度で起こり得ます。

 

その研修医のこれからの輝ける未来を、報道が奪ってしまったのではないか?と思うと、残念でなりません。

 

【口臭治療と誤診】

口臭が専門になって16年、6000人の方のお悩みを解決してきました。この「口臭」と言う概念には、2通りの「診断」が存在していると考えています。

 

●患者さんが、自己判断で「自分には絶対に口臭があるんです」と言う判断

●医療機関側が、医学的な判断で、「口臭がある」と診断を下す場合

 

これを言い換えれば

●患者さんは、「口臭」と言うお悩みの「病気」を抱えている

●医療機関側は、「口臭症」と言う「疾病」を診断している

 

とも解釈できます。

つまり、口臭で悩んでいる患者さんは、当院に来院する前に、自分で、「私には口臭が有る!」と、診断を下してから来ることになります。その自己判断が、科学の土壌に乗った上で、本当に口臭が有るのか無いのか?は、客観的な測定器の数値が頼りとなります。

 

実は、トコトン突き詰めていくと、病気と疾病は、完全に同一ではありません。

「病気」≠「疾病」

 

患者さん側からしたら、実感できる変化を感じられて、

口臭と言う病気が「治ったんだ」と言う思いに至らなければ、せっかくコストをかけても、納得できない部分が出てきます。

 

こうした場合、いくら客観的な測定値の減少を見せても、「病気」の部分が解決しない限り、

「まだ治っていない」

と言う評価になってしまいます。

 

殆どの口臭治療において、

●先に、客観的な測定値の減少傾向が始まって、

●その状態を、しばらくキープして、

●ようやく、実感できる部分が増えてくるようになります。

 

ここに、「時間差」が生じる事になります。

ヒトによって、数週間~数か月を要する時があります。

超重要な事は、客観的な測定値の減少が始まってから、実感できるまでの期間で、「治療を投げ出さない」ことです。

 

今回の研修医の場合も、一人の患者さんの病歴を、一つの時間軸上で考えた場合、最初に研修医が救急で下した「診断」、その後帰宅、次の日に地元のかかりつけ医で診療した時の「所見」、次に再び救急で運ばれた時の「診断」と言う流れを考えた時に、

 

確実に患者が訴える「病気」が、「疾病」に変化した時期があったはずです。

研修医の判断以外に、何回も、命を救えるチャンスがあったはずです。

研修医一人の責任として、押し付けてしまうには、あまりにもかわいそうです。

 

この事から、

患者が「病気」だと思い→

医師が「疾病」を特定し→確定診断が下され→「治療方針」が立案され→

患者の「疾病」が治り→病気が治ったという実感が伴わなければ、

 

一人の患者さんのお悩みは解決しない事になります。

もしかしたら、医療人として一番大変な作業は、

患者さんの疾病を医師が治療し、患者さん自身が、疾病の改善と共に、自分の病気が、「本当に治ったんだ」と思ってもらう部分なのかもしれません。

 

そして、医療機関側が、「疾病は治った」と、評価を下し、

患者さんは、まだ治っていない…と訴える所に、まだ解明されていない「口臭の正体」が隠れているのかもしれません。患者さんからの訴えをスルーすることなく、その訴えに、「新たな学び」の部分があるかもしれない…と自問自答しながら、臨床家としての「引き出し」を一つ一つ増やしていきたいと考えています。