なぜ、出版をするのか?神様とのコンタクトで、私の身辺に起こっている不思議な事

 

去年のブログで、高家神社(たかべじんじゃ)の庖丁祭に参加して、神様からの啓示を受けた話をご紹介してきました。

https://www.nakajomotoo.com/nichijo-20191031-3/

 

それ以来、神様とのコンタクト、祈りの想いを届ける方法など、一連の行動の「意味」を模索してきました。

今回は、私の中で子供の頃から経験している上位の存在との考察と、私の身に起きている、何とも不思議な現象を論じてみたいと思います。

 

思い返せば、小学校の2~3年生の頃だったと思います。(1年でも、5年生でもない時期です)私は、ガキ大将の乱暴者で、親も困る位の問題児でした。おかげで、母親は2回も校長室に呼ばれて注意を受けるような幼少期でした。

 

ただ、自分の中にも、正義の心はあり、いじめのような暴力は振るわず、正しい事をしていると言う思いはありました。

あるクリスマスの夜に、母親がぬいぐるみをプレゼントしてくれました。私は、そのぬいぐるみと妙に相性が合い、何でも話せる間柄になりました。もちろん、夜寝る時も抱っこして一緒に床に就きます。

 

子供時代は、おままごとで人形を数体持って、お互い会話をさせるような擬人化した遊びをします。しかしながら、私とぬいぐるみ君との関係性は、もう少し濃い物があり、ある意味では、初めて持つ事が出来た親友のような存在でした。そんな有る時、明確にぬいぐるみから声が聞こえてきたのです。

「どうして、友達に乱暴をするの?」

「アナタには、もっとやるべきことがあるでしょ?」

 

その日以来、私はガキ大将の素養がすっかり影を潜め、内向的で大人しい性質の子供に豹変しました。本当に、一夜にして、いじめっ子が→いじめられっ子に変わってしまったのです。最初は、みんな恐る恐るでしたが、反撃してこないぞ!と分かった瞬間、今までの分も含めて、倍返しで私への攻撃が強まりました。でも、私は家に帰って、その存在とコンタクトが出来る事に自らの価値を見出したことで、ちっともつらくありませんでした。

 

それ以来、「その存在」との交流は深まり、徐々に、どうすればコンタクトが出来るようになるか?その精神状態に持って行くための所作も解る様になってきました。

 

そして、進学、恋愛、研究論文、結婚、鍼灸師の資格を取る為の夜間専門学校への進路、口臭治療へのシフト、出版への挑戦など、私の人生の節目に現れて、「天の声」として適切なアドバイスを受けながら、大人になっていきました。

 

でも、その存在と通じ合っている時に、「どこの、誰か?」について問い合わせをしても、自分の由来を明かしてはくれません。何回、ラブレターを送っても、返信は帰ってくる事は無かったのです。

 

その中で、ひとつだけ解って来た事があります。私の頭の中をクリエイティブな状態に持って行くと、より強くコンタクトが成され、メッセージを受け取る事ができることに気付いたのです。例えば、出版の文章を考えて、良い表現を絞り出そうと考えている「出版脳」の時に、その存在に近づくことが出来る事が解って来たのです。

 

そして、最初の出版の時に、どうやらその存在は「女性格」である事が解りました。

 

私がなぜ、出版を志しているかと言うと、恐らく、最終的のその存在にたどり着き、明確につながり合いたいという要因が絡んでいるのでは?と、推理しています。

 

現在は、私とその存在は、一対一の関係なので、その繋がりは、一本の細い線のようです。でも、私が出版した本のメッセージで、多くの読者の賛同を呼び、「思考でつながる同志」のような存在が増え、皆さんが「いいね」と言う評価の後押しがあれば、その細い線が、一本の太い幹のようになり、その存在の所に、一気に押し上げてくれるような気がしてならないのです。

 

もし、その存在の前に、私の魂が差し出され、接見する事が可能になったら、

「ようやく会えましたね」

「私があなたに、ずっとメッセージを送っていたのですよ」となれば、

もう、私の魂は、号泣状態になってしまうと思います。

「どうして、すぐに会ってくれなかったのですか?ずっと、ラブレターを送っていたんですよ」

 

恐らく、その存在は、私にこの現生で、成すべきことがあり、それが成就した時に、存在を明かしてくれるのだと、勝手に解釈をしています。

私の中では、その存在を、「守護霊」と呼ぼうが、「宇宙人」と呼ぼうが、「神様」と呼ぼうが、それは、どうでも良い事です。

 

さて、ここからが本当の本題です。

去年、神様の啓示を受けてから、その存在に向けて、「祈り」を届ける習慣を取り入れました。「神頼み」ではなくて、祈るのです。

すると、私の身辺で、事が動き出しました。まず、このブログでもご紹介している、倉園佳三さん主催の、出版勉強会の案内が舞い込みました。もう、いの一番で申し込み完了です。

 

その後、令和2年の今年になって、PHP出版の新編集長との、ビジネスミーティングの機会が与えられました。がぜんやる気が出たので、既に6万字の原稿を書き上げました。

すると、その打ち合わせに呼応するように、TBSから番組出演のオファーが届きました。しかも、その番組内容は、今、出版をする為のテーマに則った内容なので、まさに、ドンピシャのタイミングだったのです。

 

この世界には、インターネットが出来上がるはるか以前から、「神ネット」というネットワークが、ヒトの意識の中で張り巡られており、「祈り」のメッセージが脳内から発信されると、その思考は神ネット上に登録され、同じような考えをしているヒトに同期して、先方から返事が返ってくるとしか考えられない不思議なことが、連続して起こっています。

 

八木龍平著、「成功している人は、なぜ神社に行くのか?」の中には、

「祈り」は「意」「宜り」だと説明しています。つまり、神様に向けて、「決意」や「意識」を「宣言する」ことが、祈りの本質なのです。

 

子供の頃の最初のコンタクトで、「アナタには、もっとやるべきことがあるでしょ」というメッセージを良く噛みしめて、2冊目の出版に辿り着きたいと考えています。